アメリカの偉いさんの話し方で、気になったことがある。
ベッセント財務長官とラトニック商務長官の話し方である。
英語でしゃべっているから中身はよく分からないが、話し方と手振り身振りだ。
記者団の前で話している時、話すというより、頭を振りながら叫んでいるのだ。
そしてその時の姿勢だ。のけぞって、常に斜め上を見ながらしゃべっている。
両手もフルに使って、まさに芝居をしているかのようなパフォーマンスだ。
日本の政治家で、彼らのように、叫ぶようにして話す人はいない。
ほとんど正面を向いて頭を動かさず、ましてや両手が雄弁に動くことはない。
記者団の前では守りに入っているから、声も小さく表情も鉄仮面のようになる。
ここが欧米人と日本人の大きな違いだ。
欧米人は、まさに実際に芝居をしているのだ。何を話すかは問題ではない。
その場で、いかに自分がすばらしい人間であるかを120%アピールするのだ。
だから、ぼくが彼らの様に違和感を感じるのは、日本人である証拠なんだろう。
日本人は、大げさが嫌いだ。これでもかと自己主張する人に対しては辟易する。
明治維新以来、欧米化に邁進してきたが、控え目な表現はまだ美徳になっている。
高市首相は、国会閉会後の演説では、けっこう手振り身振りを沢山使っていた。
また、これでもかと自分の成果をアピールし、作り笑顔をたくさん交えていた。
この媚態で、維新や国民の若い政治家たちを手玉にとっているのだから恐れ入る。
生年は1961年、敗戦から16年も経っているから、かなり欧米人になっているのか。
横須賀の会軍兵士の前で、「イェ~イ!」とやりながら小躍りしてたくらいだからね。
だが習近平には通用しなかった。握手した時の彼の冷たい態度がそれを語っている。
阿部元首相は雄弁とまではいかないが、頭の回転が速く甲高い声でよくしゃべった。
でも言語明瞭意味不明瞭で、申し訳ないが、深い考えの持ち主とは思えなかった。
親族と共に保守政治家と位置付けられたが、本物の保守信条は実際にあったのか?
昨今は、身近でも、口だけは達者で自分の思いを雄弁に語る人間が多くなってきた。
それはある意味、日本人の表現力の進化なのかもしれない。でも、中身のではない。
はるか昔から、中国人が言っていたね。「巧言令色、少なし仁」とね。
だから政治家で言えば、若い人は知らないだろうが、大平正芳元首相が懐かしい。
「あ~、う~」とかを連発し、何を言っているのか分からない程の訥弁だった。
でも本当は頭が良く、繊細で深い考えの持ち主で、余計なことはしゃべらなかった。




