hinemos-7102’s blog

どうしても斜に構えて世を見ます。すみません!

ドキッとする言説! (*_*)

だいぶん日が経ったが、ドキッとする事を言った人たちがいました。

養老孟司さんと阿川佐和子さんの対談による『男女の壁』という本の宣伝だ。

ちょっとドキッとするような内容を切り取っているのが、販売の戦略だ。

 

 

<閉経後の女性はどう生きるか>の章で、

 

【阿川】あっ、そうすると、女は中年以降は無駄に生きてるってことですか?

【養老】そう。

【阿川】男は中年以降も無駄に生きてないとおっしゃりたいんですね(笑)

【養老】別にそう言いたかったわけではないが、生物学的に言うとそうなっちゃう。

 

まあ、学問的に考えると…ということなんだろうが、これだけ切り取るとヤバい。

が、養老さんは東大の解剖学の元教授だから、思い余ったことを言っても許される。

阿川さんが口走ったことを、養老さんが「そう」と追認しただけなんだが。

 

が、何事も男女平等の世の中で、女性の中年以降の人生は無駄という言説は大変だ!

今ふつうの男が職場でこんなことを言ったら即アウトで、クビになるかもしれない。

阿川さんは年寄りの大御所との対談を商売にしているから、少々媚びた所もあるか?

 

もう一つのドッキリは、もっと前になるが、成田悠輔さんの放った言説だ。

日本の少子高齢化や社会保障問題について論議する中での表現だった。

「唯一の解決策は高齢者の集団自決、集団切腹しかない」と「早く死ねる社会」

 

 

高齢者が政治や企業のトップに長く居座り、世代交代が進まない…が本人の意図。

が、あまりにもどぎつい表現だったので、海外メディアにまで取り上げられた。

高齢者に物理的に死ねではなく、引き際をわきまえて退くことを求めた…と言い訳。

 

が、一度言い放ったことは後で黒塗りにすることはできず、大きな批判を浴びた。

「高齢者差別、年齢差別だ」「死を軽んじる表現だ」「言論人としての責任がある」

彼は東大を出てアメリカに留学して博士号まで取っているが、本当にバカだねえ。

父親が失踪し母親が倒れる等する中で進学したのだから、苦労しているはずだが。

 

切り取った阿川さんや成田さんの言葉は、全くのナンセンスでみな本気にしない。

けれど、閉経後の女性や高齢者たちの心の中に、嫌なものがグッと突き刺ささる。

なぜなら、彼らは「自分たちの値打ちが下がっている」思いを常に持っているから。

世間の本音の中にも「高齢者が増えるのは負担だけ」「早く死ねたらいい」があるか。

 

が、「存在するな」「死ね」という言葉は、人間の尊厳に対する最もひどい言葉だ。

お勉強ばかりしてきて、本当に大切なことを考えてこなかった人が言いがちな事だ。

こんな人種は、官公庁・政府・大学・身近な所…etcに、驚くほどたくさん居るよ。

 

受験勉強一辺倒になり、偏差値が高いことだけに価値があるようになったからだ。

学問が細分化され、専門化され、「道」ということを全く考えなくなったからだ。

みなさん、これからは本当の勉強・本物の学問に精進できるよう、がんばろー!

 

 

 

 

 

宗教は、それを司る人達のためにある! (>_<)

神社の祭には、ハデで変わったものもあって、毎年ニュースに取り上げられる。

 

例えば裸祭り。なんで、みんな裸にならなきゃならない?

「神聖な行事には生まれたままに近い姿がふさわしい」…と。

いや、みなが暴れる祭りだから、凶器を持ち込ませないための身体検査だろう。

 

 

なぜ、大の男が大勢集まって、お札を奪いうために醜い争いをするのか?

「福の争奪戦でその年を占う」…と。

すると、福をゲットできた1人だけが厄払いができ、米が豊作となるというのか?

 

愛知県の国府宮(こうのみや)では、くじで神男(しんおとこ)を決める。

神男に触ると厄落としになるとされ、下帯姿の参加者は一斉に神男へと押し寄せる。

神男は人々の災いを一身に背負うというから、いじめやセクハラにつながらないか?

 

 

上げ馬神事は、馬が駆けあがり、最後の土壁を乗り越えられるか否かで豊作を占う。

攻略がほぼ不可能な障害物でほとんどが失敗し、1頭は骨折したため殺処分となった。

なんで高さ2mもの土壁をわざわざ作る?…見物する人にスリルと興奮を与えるため。

 

殺処分された馬はメルズーガという名の元競走馬だ。引退後半年で殺処分となった。

競走用のサラブレッドは、ガラスの脚と言われるほど細く華奢で、骨折し易い。

この神事に昔から使われていた、足が短くて太い日本固有の頑丈な馬とは違うのだ。

 

 

更に、駆け上がりを成功させるため、酒を飲ませて興奮させていたこともあった。

SNSでこの事態を拡散され、世界に問題が広がった。ついに高い土壁は撤去された。

それでいい。人や馬を無意味に興奮させ、無駄なパフォーマンスをする必要はない。

 

とにかく、ちょっと大きな神社は、はでな仕掛けをして参拝客を集めようとする。

全くの金儲けのための仕掛けなのだ。参詣客が多くなればなるほど、神社は儲かる。

祭りの神事は元々もっと地味なものだったはずだ。それをハデなものに作り変えた。

 

お賽銭ばかりじゃない。露天商組合と協定を結び、少なからぬ所場代をゲットする。

又、膨れ上がった祭りの面倒な準備も、氏子・地域住民をタダで総動員させる。

又、祭り終わると膨大な収益が残るだろうが、宗教行事なので税金はかからない。

 

 

金もうけに走る神社を見てると、9年ほど前にあった富岡八幡宮事件を思い出す。

銀座のクラブ通いやラスベガスでのギャンブル等の放蕩三昧宮司が起こした事件だ。

宮は勧進相撲発祥の地として知られ、年間約30万人の参拝者を集める裕福な神社だ。

 

境内や隣接地からの不動産収入もあり、家族間の権力争いや嫉妬の原因となった。

氏子たちに解任された宮司は、替わりに宮司を勤めた姉を恨み、日本刀で殺害した。

神職が賽銭で遊び倒した末、家族を殺害したというのだから、バチ当りの極みだ。

 

 

この事件は氷山の一角で、似たような事情を持つ寺社は、全国に山ほどあるだろう。

こんな事件やハデな仕掛けで集客に走る祭りを見る度に、この思いを強くする。

「宗教は、悩み苦しむ人々のにあるのではない。それを司る人達の為にある!」

 

 

 

 

命の値段! (*_*)

身の周りは年寄りばかりになってきて、ふとこんな思いがしてきた。

年寄りの命の値段って、やっぱり若者よりは安いんだろうな?」

もちろんこんなことは考えたくもないが、相場ってものがこの世にはあるだろう。

 

ある法律事務所の試算例があった。交通死亡事故を起こした時の賠償金だ。

葬儀費用・死亡慰謝料・逸失利益を合計した金額となる。

それによると…

 

 

 3歳男子…6,991万円

10歳女子…8,547万円

20歳男子大学生…9,656万円

30歳独身女性会社員(年収400万)…1億355万円

40歳男性会社員(年収800万、妻と子1人を扶養)…1億3,213万円

50歳専業主婦…6,284万円

60歳男性会社員(年収1,000万、扶養者1人)…9,922万円

70歳専業主婦…4,799万円

80歳無職男性…2,250万円

90歳無職男性…2,150万円

 

見事に差があるねぇ~!なんだか、男と女でも、未だに微妙な差があるようだ。

子どもや若者には将来があるから、逸失利益を多く計算されるのは仕方ないか。

逸失利益とは、事故に遭わなければ将来的に得られたであろう収入の保障だ。

だから、高収入の人を死なせてしまったら、高額な賠償金を払わなければならない。

 

 

でも、専業主婦の命の値段が、だいたい半分くらいになっているのは悲しい。

無職男性の値段も思いっ切り低い。又、歳を取ると価値が下がるようにできている。

仕事をしていたら、人間の命の値打ちが上がるのかい?無職なら値打ちはないのか?

障がいを持つ人への賠償金もやはり低いようだが、仕事ができないからと言うのか?

 

今年の松阪牛の品評会での最高金額は、5,259万円だ。毎年、津の朝日屋が落札する。

すると、ほとんどの年寄りの命の値段は、この牛さんよりも低い!

う~~~ん。悲しいが、これが現実!この世の有様だ。

 

 

「一人の人間の命は、地球よりも重い」なんて言い方もあるが、真っ赤な嘘だ。

上記の法律事務所の試算の中では、葬儀費用は相場の150万円と計算されている。

が今時は、残された家族が”小さなお葬式”にして、99,800円で済ますかもしれない。

 

長年の疑問だったが、なぜ、”人は歳を取ると総じて優しくなる”のかが分かった。

自分の命の値打ち・社会的な価値が、どんどん下がっているのを肌で感じるからだ。

気丈だった人も、勝気で人を押しのけていた人も、自分が弱者だと思うようになる。

 

でも、ぼくは優しいだけの高齢者なんかには、絶対ならないぞ!なるもんか!

嫌われたって構うもんか!仕事がなくたって構うもんか!目指すは”暴走老人”だ!

法を破る勇気はないが、人生の後半戦に、優しさのバーゲンセールなんかしない!

 

 

 

 

人生でより多くのことを!(~_~)

人生の中では、人はより多くを求めるのがふつうだ。

でも、ものによっては、多くをゲットできたから幸せになるとは限らない。

そこで、ちょっと考えてみた。

 

まず、。よく”金があり過ぎても幸せにはならない”と言われる。

やはりそれは貧乏人たちのひがみから来ていて、貧乏人たちも金が入れば喜ぶ。

確かに幸せになるとは限らないが、より多くの可能性を手に入れることができる。

 

 

。昔は”千人切り”を誇った者もいた。が、それで女を多く知ったことになるか?

本当に千人の女と寝たところで、一人のいい女を深く愛した者には敵わない。

千人切りの女もいたが、娼婦達と変わることはなく、千人切りの男と同じことだ。

 

友だち。多くの友だちを持つことは人気者ということだから、いいことなのか?

いや、そうでもない。常に甘言と笑顔を振り撒かなければならないから、大変だ。

人望があり過ぎてもいけない。たかってくる蠅のような人々のなんと多いことか!

西郷隆盛は、明治政府に反旗を翻した薩摩の若者たちに、何と命までくれてやった。

 

 

勉強。たくさん”勉強”したら、ブランド大学に行けて勲章となるからいいことか?

いや、受験勉強は本当の勉強ではないから、自分に力があると勘違いしてしまう。

中卒・高卒・Fランク大を心の底では軽蔑しているが、本人はそれに気づいていない。

 

寿命。昔から長生きは人々の切なる願いだ。でも本当に長生きしてしまったら…。

あり余る暇を持て余し、金も尽き、子ども達に疎まれて過ごすのが落ちだろう。

健康寿命が過ぎたら、あとは病気との戦いに終始し、やはりお迎えはやってくる。

 

趣味。趣味が多い人がいる。それは結構なことだが、金がかかってしょうがない。

車のヘビーなカスタマイズが趣味の人は、新車を買った以上の金を投じたりする。

習い事をしたら、その道の”先生”が月謝や発表会に出る謝礼などを永遠に搾り取る。

 

 

愛情。多ければ多いほどいい気がするが、そうとも言えないようなこともある。

恋に落ちると多くの愛情を相手に捧げるが、裏切られると憎悪に変じて倍返し。

子どもへの愛情も、過剰になれば甘やかしに通じ、子どもは却ってグレたりする。

 

 

やはり、”過ぎたるは及ばざるがごとし”という格言は活きているようだね。

祖父は「腹八分目」とよく言っていた。でも、ぼくは生来遠慮がちの人間だ。

何事についても二分か三分というところだから、今後はもっと欲深く生きていこう!

なかなか、そうはなれないんだが…(*_*;  そういう人間も、多いと思う。

 

 

 

プーチンが核を使う危機が! (-"-)

長く続くロシア・ウクライナ戦争の局面が、今変わってきている。

衝撃的なロシアによる初めの侵攻は、刻一刻の報道にくぎ付けだった。

それから何年経っただろうか、ぼくも世間も、少々この戦争の報道に飽きていた。

 

 

2,3年前は、ウクライナ戦争の戦況や解説を、夜のBS報道で熱心に見ていた。

東大の小泉悠さん・朝日の駒木明義さん・コメンテイターの堤伸輔さんに感心した。

日本には、本当の知識人、その道のスーパー専門家がいるんだなと改めて思った。

しかも、専門知識だけではなく、世界情勢を見極め人間を洞察する眼も鋭い。

 

トランプというアメリカの王様が、イランを標的にバカな戦争を仕掛けたりした。

それで、あれほど全世界が注目していたウクライナ戦争の影が薄くなってしまった。

ぼくも、御多分に漏れず、一進一退を続けるウクライナの状況に関心が薄くなった。

 

でも、その間に戦争の状況が徐々に変わってきた。初めはウクライナが劣勢だった。

が最近は、徐々に戦線を後退させられていたウクライナが、盛り返しているのだ。

今では、侵攻されて失っていた自国の領土も、少しずつ奪還に成功し始めている。

 

戦争の局面を変えた力は、ウクライナによるハイテク・高度なドローン攻撃だ。

重厚長大的なロシアの兵器は、ドローン攻撃で次々に撃退されていった。

命を粗末にするロシアの総攻撃も、ウクライナの情報戦の力で無力化していった。

 

 

そして領土防衛に専念していたウクライナは、ついにロシアへの直接攻撃を始めた。

ウクライナはロシアの国民は狙わず、軍の基地や石油関連施設への攻撃をしている。

石油は、外国に売るための重要な商品だし、ロシア国民にとっても生活必需品だ。

 

 

石油施設への攻撃で、モスクワ等の都市もガソリン不足などが始まっているようだ。

また、写真でも分かるように、大都市周辺近くで大きな黒煙が次々に上がっている。

これは、今まで自国が戦場になることがなかったロシア国民にとって大きな脅威だ。

 

 

ついに、ロシア国民の中からも恐怖心が産まれ、厭戦気分が蔓延してくるだろう。

既に50万人以上の戦死者が出ている。兵士の補充もままならぬようになってきた。

近く反戦運動が起こり、専制君主プーチンへの抵抗運動もあちこちで始まるだろう。

 

それに危機感を抱いたプーチンが、ついにパンドラの箱を開ける時が近づいたか?

今まで、核兵器は脅しとして使っていたから、実際には使わないと世界は油断した。

が、プーチンが追い詰められたら、ボタンを本当に押す危険が現実味を帯びてきた

 

 

広島・長崎以来、世界の核反対運動が、保有国の核使用抑止に一定の力を発揮した。

が、独裁者が核のボタンを実際に持つと、そんな努力は水の泡になる可能性がある。

勿論、そんな危機が本当に迫れば、世界は必死に回避の努力をするに違いない。

 

が、世界はその危機を忘れかけている。”災難は、忘れた時にやってくる”のは本当だ。

 

 

 

やればできる!260円そば! (^^)

物価高を言い訳に、外食の値段もどんどん上がってきた。

ちょっとしたランチでも、1000円以上するのがふつうの今日この頃だ。

そんな中でも、1杯260円のソバ(小盛)が東京にある。そんなこと、できるんだ!

 

 

それも、都心の中の都心・八丁堀にあるというから信じられない。

”そばのスエヒロ八丁堀店”だ。営業時間は、客層に合わせ午前3時から14時まで。

夜中はタクシーやトラックドライバー、朝は仕事終わりの職人や出勤前の会社員。

 

さすがに店内は狭く、最大で6~7人しか入れない。

イスはなく、立ち食いのそば屋だ。上に乗せる天ぷらは、安くて美味しい。

昔に遡ると、そばの立ち食いは江戸時代以来の伝統で、店舗は少なかった。

 

 

江戸中期には、深夜に街を歩き回って売っていた屋台のそば屋が多かった。

それらは”夜鷹そば”と呼ばれたが、夜鷹と呼ばれた娼婦がよく食べに来たからか…。

当時は1杯16文。今で言うと400円くらいだから、スエヒロのそばはそれより安い。

 

 

また、”安かろう悪かろう”でないところが、スエヒロのすばらしいところだ。

店長は、できるだけできたてのつゆを提供するよう、常に細心の注意をして作る。

”早く食べられて、安くて、おいしい”を実現するよう、毎日がんばっている。

 

今年3月には、そばやうどん・おにぎりなどを20円だけ値上げした。

一気に上げるのではなく、なるべく小さな幅で値上げをお願いしたという。

いきなり50円の値上げは忍びなく、お客さんの負担を最小限にしたかったという。

 

値段をギリギリまで抑えられている背景は、店の努力だけではない。

多分、バイトは雇っていないだろう。店主の奮闘で店を回しているのだろう。

賃貸店舗の大家さんの厚意もある。テナント料をずっと据え置いてくれているのだ。

 

こんなそば屋が東京のど真ん中に残っているのに、他の飲食店はがんばっているか?

チェーン店の中では、牛丼屋が比較的がんばっている方だ。牛丼1杯の利益は薄い。

全国チェーン店でも、ココイチとか王将とかは根強い人気に甘えて、値上げ続きだ。

 

 

人気が出て全国展開を始める時は、客が集まり易い便利で高価な立地に店舗を作る。

地代、店舗新築・改装、スタッフ確保、宣伝等に、どれだけ金をつぎ込むことか…。

それを売り上げで回収しようとするのだから、安易な値上げを繰り返すこととなる。

 

そして、一口に飲食店と言っても、値上げに至るまでには様々な事情がある。

でも、ぎりぎりまでコストカットして値上げを抑える努力をする店は、いい店だ。

コストカットの努力をせず、周りを見て安易に便乗値上げをする店は、悪い店だ。

まあ、従業員の給料は値切れないから、勿論コストカットは一筋縄ではいかない。

 

「いい店・悪い店?そんなの、どうやって見分けるんだ!」って?

簡単だよ!値段と味と店の雰囲気で、みんなに自然と分かってしまうもんだ。

それが証拠に、飲食店が潰れる率は高く、あっという間になくなる店が多い。

 

 

 

 

肌の触れ合い!…(^^)

孤独を怖れるな!孤独を楽しめ!一匹狼であれ!…とよく言われる。

人は独りでは生きられない。人は社会的な動物である。絆!…ともよく言われる。

どれも正しい。いずれも、その人の状況によっては説得力があり、的を得ている。

 

でも、友だちとの楽しい会話の直後に、なぜか淋しい感情が募ってきたりする。

賑やかな家族の集まりや会話の中で、心に一瞬冷たい風が吹く時がある。

ジタバタと忙しい人生を送った最後は、独りで死んでいく結末が待っている。

 

 

考えてみれば、誰もが、この世に生を享けた時はただ独り。

舐めるように愛情いっぱいに育てられても、やがて独り立ちしていく。

独り立ちできなくて家に引きこもったとしても、やはり独りぼっちだ。

 

人間は独りぼっちだということと、家族や仲間の中に居るということは逆説的だ。

どの人も、孤独と触れ合いとの狭間にあって、その両方を行ったり来たりする。

人生の時期によって、しばらくの間、そのどちらかに傾くこともふつうのことだ。

 

 

若者が適齢期になると恋愛するというのも、再び触れ合いを求めるからだろう。

青春の悩みや孤独の時期を経て、やはり異性と触れ合いたくなる。それが恋愛だ。

めでたく結ばれれば、異性と、または子どもたちと触れ合う幸せな時期が続く。

 

歳を取ると、パートナーとの触れ合いは減り、子どもも独立して触れ合えなくなる。

つれあいに先立たれたら、本当におひとり様となり、触れ合う対象はなくなる。

今は、このおひとり様の人口が急増していて、その孤独が社会問題となっている。

 

この一口に言う”ふれあい”(交流とも言う)は、とても広い内容を持っている。

顔を合わせる、しゃべり合う、共同作業をする、一緒に楽しいことをする…等々。

でも、一番大きく一番有効なことは、”肌で触れ合う”(スキンシップ)に違いない。

 

 

親子喧嘩が起き、百や千の立派な言葉を発しても、双方が得心しないことが多い。

が、たった一つのハグで心の壁が溶け、気がつけば許し合っていることが多い。

理屈ではなく、肌の触れ合いこそが、人間にとっては大きな意味を持つことなのだ。

 

猿の子どもは、実際の母親でなく、ぬいぐるみの代理母で何とか育っていくという。

そのくらい触感というものは大切で、生物に成長とって決定的な意味を持つ。

大人になっても同じで、肌の触れ合いがほとんどない人は、精神的にも難しくなる。

 

家族と触れ合えなくなった老人ホームのお年寄りは、スキンシップに飢えている。

手を握ってやったり、背中をさすってあげたり、ハグしたりすると、とても喜ぶ。

間近に死を迎える老人たちにも、それらはオプションではなく、必要不可欠なのだ。

 

 

大雑把だが、”肌を触れ合う経験の多い人は幸せになる”ということが言えると思う。

が、”肌の触れ合い”ばかりは、当前だが、他人との間でおいそれとは実行できない。

それが心おきなく何度でもできるというのは、配偶者や我が子との間にしかない。

 

その意味で、異性と結ばれること・子どもを持つことは、思っている以上に重要だ。

今の時代、必ずしも異性と限らなくてもいいのだが…。

肌で触れ合う経験を少なくするという意味で、非婚・少子化はやはり大問題だ。

 

単なる”ふれあい”なんかじゃダメだよ。”肌で触れ合う”ことこそが、人を救う!