当たり前かもしれないが、どんな物事にも両面があってプラスとマイナスがある。
例えば、車を所有することは、行きたいときにどこにでも行け便利この上ない。
けれど、普通車でも1~2トンある鉄の塊だ。事故すれば、人殺しにさえなる。
維持するだけでも毎月何万円が要るだろうか?それだけあれば、飲みに行ける。
「花の大東京」を目指して進学できたり就職できたりすれば、まず夢を果たせた。
東京は毎日どこかでイヴェントやリサイタルやあり、金さえあれば毎日楽しめる。
が、金に乏しい者は、鶏舎のような住まいから長時間かけて往復するだけの毎日だ。
東京圏に住めば、たくさんの電車が走っているから、車に乗らなくても移動できる。
が、東京にしばらく住んだ者は、どこに住んでいるかで人を細かく差別する。
遠くから1時間以上かけて通勤・通学する者は、はじめからバカにされている。
人にも勿論両面がある。どんなに良く見える人間にも、害を与える可能性がある。
優しくて物分かりのいい親が、結局子どもをスポイルしてしまうことはよくある。
どうしようもない親の子は苦労が絶えないから、意外に立派な人になる事がある。
投資してうまく受験勉強の道に子どもを乗せれば、子どもはブランド大学に入る。
そうなれば親は鼻が高いし、子どもも一生通用する勲章をぶら下げることができる。
でも、子どもは大事にされることを当然と思い、人を大事にする人間とはならない。
すてきな人と恋仲になれば、なんとすばらしいことか。天にも昇る気持ちになる。
けれど、美女・美男ほどプライドが高く、そのうち心変わりする危険性も高い。
上下関係ができて、こちらが尽くす立場になってしまうと、一生頭が上がらない。
病気や事故や戦争で子どもが死んでいくのは、周りの人間にとって最大の悲しみだ。
でも、死んでしまった子どもたちは、果たして不幸な存在でしかなかったのか?
彼らは、長く生きることによって味わう苦しみや悲惨から解放されたのは、確かだ。
悩む人は、自分にとって100%よいものをつかもうとするから悩むんじゃないか?
絶望する人は、自分にとっていい事は0%だと思うから、絶望するんじゃないか?
物事も人も、元々良い面・悪い面が混じっていて、悩むことも絶望することもない。
”何かを得れば、何かを失う”のが世の習いで、それを喜ぶことも嘆くこともない。
昔と違って、故郷を飛び出し、どこに住むのもどんな仕事をするのも自由となった。
けれどそうすれば、絆を失って、都会のアパートの一室で孤独死するのも仕方ない。
人生は5勝5敗で御の字だ。思い通りになったりならなかったりするのが当たり前だ。
不幸のすぐ隣に幸福があり、幸福の中に不幸の種は眠っている。
わが人生、あるがままを静かに受け入れよう。例えそれが死であったとしても。
ジタバタすることはない。ジタバタすれば、取り越し苦労になるだけのことだ。
































