hinemos-7102’s blog

どうしても斜に構えて世を見ます。すみません!

東野圭吾さんの言葉から… (-_-)

売れっ子作家の東野圭吾さんが亡くなった。彼の小節を読んだことはないんだけど。

68歳だったという。男は人生80の時代だから、早いな。

やっぱりプロの作家生活は、漫画家と同じで不健康だったか?命を削った。

 

 

彼の言葉の中で、ちょっと気になったものがあった。

ぼくも近頃、同じようなことを思っていたからだ。

 

それは、

人間は、変化したほうがドラマチックです。そうやって肩の力を抜いて、どんどん変化して生きていきましょう」だ。

 

人間は思っている以上に保守的な動物だ。歳を取ると尚そうだ。

自分の考え方、流儀、生活習慣、好み、趣味、交友等がみな固まってしまう。

その結果、昨日とほとんど変わらない今日を過ごし、明日もまた同じになる。

 

歳を取ったら、それでいいのかもしれない。

若者のように、いろんな可能性に満ちた未来があるわけじゃないからね。

でも、残された人生の中で、今まで見たこともなかった景色も見てみたい。

 

元来怠け者で、何かに一生懸命取り組んできたわけじゃない。

それだけに、人様に自慢できるような成果も果実も何一つない。

それでも死ぬ前に、何かひとつ花を咲かせてみたいという願いも少しはある。

 

花が咲かなくても、今までに経験したことがなかったことを経験してみたい。

能力・体力・精神力は全く足りないが、それでも自分もできることがあるのでは?

そのためには、彼の言う”変化”がヒントになる。がんばるのではなく、変化だ。

 

彼は、こうも言っていた。

「いくらでも意見は変えていいんです。全然構わないですよ…」

「日本人は、一度自分が持った考えや意見を変えることに罪悪感を持ち、そのままずっと変えようとしない傾向が強い」

 

 

そう、自分の考え方や価値観などは意外に強固で、ほとんど変わることがない。

おまけに、自分の考えや意見を変えることには、何か後ろめたい気持ちもある。

そのため、人はなかなか変わらないし、人生も生活も相変わらずの日々が続く。

 

でも、自分の先入観を少しでも変えることができたら、新しい世界が開かれる。

そのためには、あらゆる場や機会に、自分が柔軟であろうとする決意が必要だ。

しかし”言うは易く行うは難し”で、固まった自分を実際にほぐすことは至難だ。

 

カチンカチンになった自分を柔軟に・・・酢でもたくさん飲むしかないか?

それでも、この頃敢えて肝に銘じていることがある。

それは「一歩前へ」だ。”変化”への第一歩だ。

小さな勇気を出してする小さな一歩が、意外に新たな可能性を拓いてくれる。

 

男子トイレの小便器の前によく貼られている言葉と同じだ。それが気に入っている。

 

 

 

 

プロ野球、いい加減にしてくれ! (^^)

テレビは、またプロ野球の中継が花盛りとなってきた。

 

 

レギュラーシーズンの前半が終わったらと思ったら、次はオールスターゲーム!

それが終わったら後半戦で、10月はクライマックスシリーズと日本シリーズだ。

それが終わればオフシーズンだが、秋季キャンプ・ドラフト、次は春のキャンプ…

 

もう、いい加減にしたらどう?野球というスポーツ・ゲーム自体は否定しない。

自分もやってみて、面白いと感じたこともあった。ソフトボールだけどね。

でも、観戦してチームを応援することはあっても、観ていて楽しくはなかった。

 

テレビで中継するって、それだけ膨大な数の人が観る需要があるってことだ。

一時よりその数は減ったというが、未だにゴールデンタイムに放映される。

観たって、大の男たちが球を投げ、バットで打ち返して走るだけのことなんだが…

ぼくが見たいニュース報道や歴史番組も、野球中継でなくなってしまう。

 

 

日本全体で、何百万人の人たちが観ているだろうか?それじゃ、済まないか?

プロ野球で、どれだけの金が動いてるんだろう?何百億?何千億?それ以上か?

まあ、それだけの金が動かないと、選手の年俸も野球関係者の給料も賄えない。

 

ここからは、プロ野球ファンの方々が怒り出すか、無視するようなことです。

阪神が勝とうが、巨人が勝とうが、ソフトバンクが勝とうが、どうでもよくねえ?

なんで、一つのチームを熱狂的に推して、少なからぬ散財をしてしまうのだ?

 

第一、阪神チームの選手たちの出身地は、全国のいろいろだ。外人だっている。

阪神チームの選手がすべて大阪出身で、コテコテの関西弁を使っていたら本物だ。

それなら、大阪人が負けてばかりだった阪神チームを熱心に応援するのも分かる。

 

 

高校野球はプロ野球の予備軍だ。残念だが、ほとんどはプロ選手になれない。

野球肘になるまで猛練習したりするが、甲子園まで辿り着くチームは滅多にない。

夢破れると不良になるものが多いが、その先輩後輩の腐れ縁は生涯に渡って続く。

 

高校野球に至るまでは、少年野球で監督・コーチの怒声を浴びながら練習する。

プロ野球への未練捨て難く、企業に入ってもまだ野球を続けるのが社会人野球だ。

好きで楽しんでいるならいいが、シニアになっても地元チームで野球にいそしむ。

 

 

もういい加減にしてくれ!日本中、野球にどれだけの金と時間と情熱を捧げるんだ!

体力のある元気な男ばかりじゃないか!大谷選手のように、とても賢い男もいる。

野球はどう考えたって、ただのスポーツの一つ、ただのゲームの一つに過ぎない。

 

野球に捧げる情熱を他の仕事や事業に捧げたら、この国にどんなに有益なことか!

日本の全てのプロスポーツ選手達を他の仕事に向けることが、最高の成長戦略だ!

 

 

 

 

この世の全ての問題を解く鍵は、愛? (~_~)

人はこの世に産まれてから、愛を求める続ける。

赤んぼは、しきりに「だっこ、だっこ」と抱かれることを要求する。

その時から既に、人の愛を求める行動は始まっている。

 

 

大きくなって重くなれば、もう抱っこはしてもらえないし恥ずかしい。

その代わり、愛を求めることは、笑顔を振りまくことに替わる。

愛らしい笑顔をつくる子は、結局他者から愛を求めているんだろう。

 

大人になれば、笑顔を振りまくだけでは愛はキャッチできない。金が要る。

地下アイドルを追っかけるようなファンは、チケットやグッズ以外に投げ銭もする。

収入が少なそうな男たちが、なけなしの金を惜しげもなく、くれてやる。

 

 

金を振り撒いたところで、アイドルが自分のものになってくれるわけじゃない。

中にはストーカーのようなサイコが、自分のものにしようとすることも稀にある。

だが、地下アイドルのライブは金儲けの場で、恋愛が成り立つような舞台じゃない。

 

今日もアイドルに向かって懸命に声援を送る男たちは、”疑似恋愛”をしているのだ。

”恋愛のようなもの”だな。ちょっと自分に振り向いてくれさえすればうれしい。

でも、愛を求めるベクトルは一方向ばかりだ。悲しいね、見返りはない。

 

 

追っかけは、地下アイドルだけではない。推しの歌手とか、いろいろあるだろう。

別に歌の上手さに惚れている分けじゃない。自分が惚れたイメージを追求する。

中には、同じ内容なのに全国のツアーを追っかけて、何十万円も浪費する者もいる。

 

未だにロマンス詐欺に引っかかる人もいる。

途中から、金を無心されるような話になれば、それは詐欺に決まっている。

そんな奴に大金を与えてやるほど、愛に飢えているというのか?悲しいね。

 

 

みんな、悲しいほど愛に飢えているよなあ~。既婚者であっても、それは同じだ。

先日亡くなった美輪明宏は言った。「この世の全ての問題を解く鍵は、愛です」

でも、その愛がなかなか得られない。こちらが愛を与えても、裏切られる事が多い。

 

 

なるほど。確かに愛は、自分の行き詰まりを打開する意外な鍵なのかもしれない。

けれど愛を実現すれば、この世から戦争や殺人や詐欺が無くなるというのか?

戦場の兵士は、愛を思う前に、砲弾や銃弾で一瞬にして命を奪われてしまう。

 

 

 

自己中がセンターピンかどうか !? (>_<)

維新の吉村代表がよく使う言葉で「〇〇がセンターピン」という言葉がある。

彼が”議員定数削減”とかを、ごり押しするために使う言葉だ。

確かに理念は正しい。けれど、一番削減してほしくない議員が賛成するわけはない。

 

 

でもこの「〇〇がセンターピン」という言葉が、気になって耳に残る。

調べると、それは”全体に最も影響を与える核心的な要素”とある。

製造業や金型の分野では、”物体を正確に中心に固定する部品”とある。

 

「〇〇が核心」とか「〇〇が中心」と言えば、それで済む事だが…。

カタカナ語にすると、なんとなく新鮮で強い印象を感じるのは、日本人の悪い癖か。

 

人は基本的には自己実現を目指しているから、ある意味、みんな自己中だ。

本当に賢い人は、自分の自己中を他人の自己中の中で、相対的に見ることができる。

又は己の自己中を巧妙に隠し、他人にはそれを感じさせないように上手く演じる。

愚かな人・頭の良くない人は、己の自己中がむき出しとなり、他人とよく衝突する。

 

 

ふつうの人はその中間で、自己中を隠したり、隠しきれずに時に現れたりする。

そして、どこまで自己中がセンターピンになっているかで、人を品定めできる。

自己中がその人の核心だったり、中心的な要素と分かったら、やはり要注意だ。

 

友人の男が、なぜか妻や子ども達に毛嫌いされる。ぼくらの前ではご機嫌な男だ。

なぜそうなってしまうのか、ずっと不思議に思っていたが、その理由が分かった。

彼は仲間内では人気者でいい奴だが、家族の中では自己中がセンターピンだった。

 

自己中に似た言葉で、エゴイズムとかエゴイストという言葉が昔よく使われた。

仲間や身内の中にも、「あの人はエゴイストだ」とよく陰口を叩かれた人がいた。

エゴイストとは一口に言えば、自分自身の利益や欲求を最優先に考える人のことだ。

 

具体的には、あのトランプさんを思い出せばいい。

ああ言えばこう言うに終始し、決して自分の非は認めず、専ら相手を攻撃し続ける。

勝手なディールを仕掛け、相手国に巨額の金を払わせ、自国の利益の最大化を図る。

 

 

発達障害者や精神障がい者は、社会性が十分備わっていないことが大きな特徴だ。

自分の考える世界しか見えておらず、他者の世界や心の動きが見えていないのだ。

つまり自己中に他ならないが、生来持つ障害や病気なので、その人の責任ではない。

 

発達障害や精神障害の現れ方は見えにくく、複数の要素が混じっているのが普通だ。

最新の精神医学では、多くの人がその傾向をグラデーションで持つ事が分かった。

だから自己中の人は勝手な健常者ではなく、その傾向を持っている可能性がある。

 

ぼくは子どもの頃から親父に、「おまえはピントがずれている」とよく言われた。

だから今でも、ぼくのセンターピンは、ずれたままなのかもしれない。

と言うより、ぼくのセンターピンの中身は一体なんだ?自分で分からなくなった(^^;)

 

 

 

先生は、辛いよ! (*_*)

公立学校教員で精神疾患による退職者数が1300人超となり、過去最高となった。

多分この数字は氷山の一角で、精神疾患に罹っている教員はもっと多いはずだ。

文科省の出した数字だから、なるべく過少評価して出しているに違いないからだ。

 

 

教員自身が弱くなっているのは確かだが、なぜ心を病む教員がこんなにも多いのか?

簡単に言えば、言うことを聞かない子ども・無理難題を言う親の増加だろう。

加えて、同僚である上司・仲間が力になるどころか、精神的に追い込む場合もある。

 

戦前の教育は、まさに国民を育てる場であり、国家事業そのものだった。

学校に盾をつく輩は、子どもでも親でも非国民であり、村八分となる。

だから教員も学校も絶対的な存在で、戦争に行く兵士を育てる役割もあった。

 

 

その反省から、アメリカに「教えられて」、教育は個人・人権尊重にシフトした。

学校に行かないのは子どもの権利で、無理に行かせば人権侵害となるようになった。

親は物言う株主のような存在となり、不満があれば教師や学校を躊躇なく攻撃する。

 

 

やがて世間では教職がブラックである事が知れ渡り、教師を目指す若者は激減した。

ひと昔前までは子ども達の憧れの職業の上位だったが、今は定員割れさえある。

性質の悪い人間が教員に紛れ込むことが多くなり、盗撮などの事件も起きてしまう。

 

教員が盗撮等の悪いことをしていないかを見張るカメラも、校内に設置され始めた。

こうなると、教員に対する不信が前提となり、まともな教育が成立するわけがない。

夢を抱いて教職に飛び込んだ若者が、誇りをもって教育活動ができるわけもない。

 

 

教員の働き方改革なんて、形だけの見せかけに過ぎない。家で残った仕事をする。

勤務時間等を報告するのに煩雑な書類を作らなければならず、余計に多忙となる。

給料を少し上げてもらっても、教員の厳しい精神的環境は悪化の一途を辿っている。

 

今の学校現場では、師弟の絆の美しい『二十四の瞳』なんて世界は、夢のまた夢。

子どもが教室を走り回っても、教師は猫なで声で対応しなければならない。

保護者はクレーマーだらけで、いじめがあったと弁護士を立てて担任をいじめる。

 

 

映画の寅さんは言った。「男は辛いよ…」

でも、全国の教員は今日もつぶやいていることだろう。「先生は辛いよ…」

 

もう学校は、わざわざ大勢で集まってみんなで勉強しなくたっていい。無駄が多い。

インターネットやAIが発達したから、やる気があれば、自分でどんどん勉強できる。

学校でやるとしたら、集団行動を経験し、社会性を身につける活動に絞ればいい。

 

 

 

 

寿司のマグロはそんなに美味いか? (・・?

ぼくは、ほとんどクルクル寿司しか行けない。

そのせいか、寿司ネタの代表のマグロをそれ程美味しく思ったことはない。

みんなは、本当にマグロを美味いと思って食しているか?

 

 

なんだか、多くの人は「マグロは美味い」と思い込んでいるんじゃないか?

江戸っ子を気取るような人達が「マグロが一番」と言うのに、感化されてるか?

江戸っ子が昔から好んだ寿司ネタは、酢締めのコハダや煮アナゴだ。

マグロは、江戸時代も後期にネタとして加わり、主に醤油漬けされたものだった。

 

 

ぼくもマグロが上手いと思った時も、たまにはある。

クルクルじゃない店で食べた赤身だ。あれは、本マグロだったのかなあ?

クルクルじゃない所で食べただけの事で、美味しく感じたのかもしれない。

 

最近では、スシローで食べたお薦めのビンチョウマグロが美味しかった。

2貫で110円だが、脂が乗っていて、本マグロの中トロにも負けない味だった。

寿司通は”クロやアカ(マグロ)がいい”と言うが、ビンチョウだっていい時はいい。

 

 

確かに大トロ、中トロは美味しい。それらは、マグロの脂の美味しさだ。

牛肉の美味しさも、結局は脂の美味しさだ。でも、脂の固まりでは辟易する。

結局は、赤身の中に脂が適度に差し込んでいるかどうかで、美味しさは決まる。

 

 

ところが、江戸時代はマグロの脂は珍重されず、脂身の部分は捨てられていた。

マグロ自体が「下魚」とされ、特に脂の多いトロは保存が難しく不人気だった。

トロが高級品となったのは冷蔵庫が発明されたからで、人々が見直したからだ。

 

一方、江戸っ子は旬のカツオを熱狂的に好み、それを食することが粋の証であった。

初鰹1本に金4両という最高値がつけられた事もあり、それは男の年収の2倍だった。

買い落した奴はきっと江戸の成金で、今のすしざんまいの木村社長と似ていたか?

熱狂したわけは、時季初めのものを食べると、寿命が75日延びると言われたからだ。

 

 

ぼくもカツオが好きだ。寿司ばかりでなく、刺身で食しても美味しい。生姜と合う。

マグロほどくどくなく、さっぱりしている。好みの薬味と併せると、更に美味しい。

カツオのいいところはふだんは安い事だ。今年は豊漁で、庶民にも手ごろな値段だ。

 

今は子どもも腹いっぱい食い散らかすが、最後の方の寿司の味って、どんなんだ?

きっと美味しくとも何ともないだろう。そもそも、寿司は腹いっぱい食べるものか?

年に1回とか、ハレの日にしか食べられない人には、どんなネタでも最高の味だろう!

 

 

 

 

良いウナギ屋の見分け方! (^^)

「今年はウナギが安くなるか…」という報道が時々ある。

去年から、ウナギの赤ちゃんである天然シラスウナギが豊漁だったことによる。

去年2025年は前年の3.7トンから14.8トンと4倍になり、価格も半値まで下落した。

 

 

シラスが豊漁になってきたわけは、黒潮の流れがふつうになってきたからだ。

ここ数年、黒潮は南の方へかなり蛇行していたが、今は陸地近くに戻って来た。

海を回遊してきたシラスウナギが、川や河口にたどり着きやすい状況になってきた。

 

”白いダイヤ”と呼ばれるシラスが安くなっても、そこから育てなければならない。

イトミミズ・配合飼料・魚粉などのエサの費用は、かなり上がっていることだろう。

水質管理のために、大量の水や燃料や電力を使うが、その費用も上がっている。

 

だから、シラスが半額になっても、大人のウナギが半額になるわけではない。

が、スーパーは買い物客の目が厳しいので、既に店頭価格を安くしている。

例えば、鹿児島県産の大型蒲焼を前年より約500円安い価格で販売しているという。

 

 

専門店は、所によっては2000円だった商品を1700円台まで下げているらしい。

中には、900円のうな丼を提供する店もあるというが、乗っているウナギは小さい。

でも、スーパーより高めの値段をまだ付けている。専門店の味の方が良いからか?

 

そこで本題に戻ると、良いウナギ屋かそうでないウナギ屋の見分け方は、何だ?

全く簡単なことだ。”料理の値段を一律に下げているかどうか”だ。それだけだ。

何故なら、ウナギの成魚の仕入れ値も25%は下がっているからだ。

 

 

なかなか値段を下げようとしない理由は、店はいくらでも言うことだろう。

人件費が上がっている。持ち帰り用のパックの値段も光熱費も上がっている等々。

が、今年になっても値段を下げないなら、儲けを多く盛っていることに他ならない。

 

田舎のウナギ屋だったら、客はそこしか行けないから、なかなか文句を言えない。

また、田舎の人間ほど、ハレの特別な日には高値をいとわずに金を払う人が多い。

又、名店・老舗という評判を取った店は、癪だが価格設定も強気のままでいられる。

 

 

今は、食料品や外食の値段は何もかもが上がり続け、庶民は苦しい毎日が続く。

一流大企業の社員以外は、給料は物価高に全く追いつかないから、窮乏化が進む。

滅多にない値下げ可能の唯一の料理を、悪い店にごまかされてフイにしないように!

 

ニホンウナギは、2014年から絶滅危惧種に指定され、既に資源管理が始まっている。

シラスウナギ捕獲に頼らない完全養殖もまだ実験段階同然で、コストはまだ高い。

だから、黒潮が蛇行し又シラスが取れなくなったら、必ず、再びウナギは高騰する。

 

ちょっと安いウナギを食べられるのは、今年が最後のチャンスになるかもしれない!