ホテルのバイキングで、どうにもならない困ったおばさんに出会った。
1つのおかずを取る時に、自分が好きな具材だけをしつこくより分けて取っていた。
それを長い時間かけてやっていたから、並んで待っている人はあきれて困っていた。
「はやくしてよ」と言えばいいんだろうが、なかなか言えるような相手ではない。
太っていて声が大きく、腕っぷしも強そうで、下手に言うと逆切れは間違いない。
1つのおかずが切れて空になった時、スタッフを呼びつけて大声で怒鳴っていた。
こんなどうにもならない大人は、今はどこにでもけっこう存在している。
市役所では、朝からロビーにあるソファーに寝そべっている人々がいる。
そんな人達は決まって窓口で、職員たちに大声でクレームを叫んでいる。
こういう人々は既に成人で、直しようがない。もはや教育することもできない。
公(おおやけ)を尊重すべきということが理解できず、いつまでも分からない。
自分の世界・考えが全てで、他人にもそれがあるという相対的な捉えができない。
学校ではモンスターペアレントが知られるが、担任を飛び越えて校長に向かう。
それがダメと思ったら、市の教育委員会、次に県教委・文科省へと向かう。
その運動の中で、自分に加勢してくれる弁護士を立てて闘争に入る者もいる。
もちろん、正当な理由があれば、そうすることがもちろん正しい場合もあるだろう。
でも、どうにもならない困った人々がそれをすると、関わった人々みなが疲弊する。
自分勝手な主張を猛烈に展開し、相手や公の立場や考えを考慮することは全くない。
昔は、地域の中に有力者がいて、そのどうにもならない人たちに睨みを利かせた。
または村人たちが村八分にして、彼らがのさばるのを許さなかった。
昔は人々の移動の自由がなかったから、そうされると彼らは地域で生きていけない。
また、昔のヤクザは凄みを利かせて、そんな輩がいたらすごすごと退場させた。
が、ヤクザの存在が全て悪となってからは、彼らはそんなことはしなくなった。
ヤクザも変質し、任侠道のようなものは絶え、金を儲ける奴だけが幅を利かす。
また今は、どうにもならない困った人たちに「人権」というものが手助けをする。
公や多数の人たちの常識が立ちはだかっても、彼らは「人権侵害だ」等と叫ぶ。
そしてけっこう、公や市民の方が彼らに忖度し、すごすごと引き下がることが多い。
一部の自治体では、このどうにもならない人を持て余し、法的処置を講じ始めた。
とんでもないカスハラを公に対して繰り返した場合、名前の公表等に踏み切った。
でもそれはよっぽどの事があり証拠がある場合で、実行されることは滅多にない。
というわけで、どうにもならない人々は、今現在も毒キノコのように増殖している。
昔から、善良な人たちには力がなく、勝手な奴らだけが力を持ってのさばっていく。
世界の政治状況・軍事状況もそうだから、善良な者達は結束してがんばらないとね!



