悪い言葉で言えば、商売って結局は人をだますことだろう。
そうでないと、利益とか儲けってものは出てこない。
もちろん、知恵とか度胸とかガッツは要るが…。
例えば、元気な若者が一念発起してラーメン屋を開業したとする。
原材料費・光熱費・所場代・人件費など、かかった経費を合算する。
それらの経費そのままで値付けしたら、何も儲けは出ず、店は早々に閉店だ。
その経費の合計額に、マージンを上乗せしなければならない。
ラーメン屋が存続していくためには、それは必要で正当なものと言える。
でも、そのマージン分は、身もふたもない言い方をすれば”だまし”から成る。
ラーメンのレシピは、これ以上何かを見つけられないほど既に開発されている。
厳しい修行を経て、懸命に探求して、店主は日本一と勝手に思い込んでいる。
でも、町のラーメン屋のラーメンはどこも似たり寄ったりで、大差はない。
が、人気のあるラーメン店は、それだけの価値を創っているお店とも言える。
世界に一つしかないラーメン、万人がおいしいと思うラーメン?
もし本当にその価値があれば、宣伝しなくても黙っていても売れるけどね。
でも、そんなラーメンって、本当にあるのか?目をつぶれば、誰も分からない。
ミシュランの三ツ星をもらうラーメン店って、あるのか?
多分ない。日本一・世界一のラーメンだと、店主や客が勝手に思っているだけだ。
でも、客にそう思わせるラーメン屋はやっぱり凄いし、なかなかできる事じゃない。
味や品質が高いことは確かだろう。でも、それだけではダメだ。
それに何がしかのプラスアルファがないと、客は集まってこない。
それこそが客を惹き付ける店の”魅力”で、曰く言い難いものだ。
店主の人柄・愛想の良さ・店舗のたたずまいや清潔さ・活きのいい言葉がけ等々。
悪い表現で言えば、それがラーメン商売の”騙し”や”儲け”の正体だ。
今はSNSで評判が評判を呼び、客が客を呼ぶ。そして、人気店となる。
人気のバイアスが簡単にかかり、でもやがていつの間にか消え去っていく。
商売は”笑売”だと言われる。小売りなど一般の商売ではそれが基本だ。
気分が悪くても、客の前では常に愛想よく笑顔を作っていなければならない。
客の固い財布のひもをほどくには、最低限必要な事だと昔から思われていた。
一方、商売で儲けることは、汗をかかずに金銭を得ているというイメージがある。
だから昔から商売人は、武士や農民や職人たちから下に見られ、さげすまれてきた。
それは、士農工商という言葉の中で、一番最後に”商”があることでも分かる。
さげすまれても卑しいと思われても、昔も今も、大金をゲットした者が勝ちだ。
江戸時代、生活苦に陥った武士は、結局頭を下げて大商人から金を借りた。
三井・住友・三菱の名が付く会社には、今も有名大学卒でないと入社できない。
でも元は、愛想や知恵を武器にしてのし上がってきた江戸時代の商売人たちだ。
そう言えば、巨万の富を築いてきたユダヤ人たちは、凄腕の商売人でもあった。
『ベニスの商人』に登場する強欲な金貸しシャイロックは、ユダヤ人の悪い象徴だ。
詐欺をやってしまっては罪人となるが、程よく人をだませば人生に利益を産む。