人と人との間で、何かにつけ差がついてしまうのが人の世だ。
それは資本主義国家であろうが社会主義国であろうが、同じだ。
専制的な国では権力に近いものと遠いもので、天と地ほどの差ができる。
ぼくら日本では、まず友人知人との給料の差が気になる。
それに、株をたくさん持っているか(買えるか)持っていないかの差。
NISAとかは国民から金集めをして証券会社が儲けるだけだから、差はつかない。
持つ者と持たざる者の差で、もっと大きなものは何か?
家を持つ者と持たざる者。土地を持つ者と持たざる者。
これは確かに大きいね。
土地や家を生まれながらにしてある者は故郷を持ち、やっぱり豊かだ。
好き嫌いはあっても、幼い頃から顔を知る友と共に育つことは大きい。
タワーマンションで産まれたら、それは故郷と言えないだろうが…。
でも、もっと大きく差が付くものがあるかもしれないね。
その一つは、伴侶を持つ者と持たない者。
下手な伴侶を持たない方が、幸せだったということもあるかもしれないが。
伴侶を持たぬ者が、趣味三昧の自由な暮らしを謳歌しているかもしれない。
けれど齢を重ねるごとに、寂しさと不安が募ってくる。
最後は孤独死で、誰にも看取られぬまま畳や床の上に転がっている可能性もある。
子どもを持つ者と持たない者の差も大きい。
子を持つと、あれこれと出費が重なり、旦那の小遣いなんて吹き飛ぶ。
それでも、自分の子どもができるということは、大抵の人には無上の喜びだ。
しかし、子を持った瞬間から、病気・事故・教育・非行など、心配の種は尽きない。
手塩にかけて育てても、蝶よ花よと可愛がっても、裏目に出ることはよくある。
こうなると持つ者の方が不幸になるから、人生は奥深い。
子どもを持つということをコスパで考えれば、ペイしないに決まっている。
自分の楽しい自由時間を大きく裂かれてしまう事も、覚悟しなくちゃならない。
それでも自分の人生の一部を犠牲にする子育てが、多くの喜びをもたらす面がある。
だから、持つ者の方が幸せとなり、持たぬ者が不幸になるとは必ずしも言えない。
それでも持つ者の方に選択肢が多く、持っているものを捨てるという選択肢もある。
貧乏で選択肢がない者こそが幸せとは、とても言えない。
そうやってあれこれ考えている間に、80年・90年はあっという間に過ぎる。
”下手な考え、休むに似たり”
例え粗末でも、今あるものから出発するしかないね。
小さな1歩を進めばいい。5歩も6歩も進もうとするとこけるし、疲れて長続きしない。
自分が考えている1歩を、勇気を出して本当に踏み出してみることこそが大事だ。
踏み出してみると、事態が好転することが多いことは、今のぼくの実感だ。


